式内 神原神社
概 要
社 号 神原神社
式内社 出雲国大原郡 神原神社
読み:古 カンハラ、現 かんばら
「神原社」『出雲国風土記』
所在地 島根県雲南市加茂町神原1436
旧地名 出雲国大原郡
御祭神
大国主神(おおくにぬしのかみ)、磐筒男命(いわつつのおのみこと)、磐筒女命(いわつつのめのみこと)
例祭日 11月9日 例大祭
社格等
『延喜式神名帳』(式内社)
出雲国:大2座・小185座
大原郡(オホハラ):13座(並小)
近代社格制度 旧村杜
創建 天平5年(733)以前
本殿様式 大社造銅板葺
境内摂末社(祭神)
天満宮
文化財
三角縁神獣鏡 国重要文化財
県指定無形民俗文化財の獅子舞
一口メモ
以前、日本最多の銅鐸で有名になった荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡を訪ねたので、神原という地名に思い入れが強く、伯耆・出雲国の山間部に点在する式内社をくまなく周ることができたが、移動に時間がかかり、岐路、雲南市加茂町神原の式内神原神社ではスマホのナビでは場所が正しくなく、真っ暗になったなか集落内を勘に頼ってぐるぐると周り諦めかけていた。ナビが動くようになったら、なんと橋のすぐ川岸にあるではないか。一人旅みたいなものだから、自由が可能なのだけど、誰もいない真っ暗な見知らぬ土地を探しまわるのは心細いものだ。(ストロボ撮影)
歴史・由緒等
天平5年(733)2月30日「神原社」『出雲国風土記』
慶長16年(1611)「神原松井大明神社」と称
正保3年(1646)「松井大明神」と称
天和3年(1683)「神宝大明神」と称
明治初年旧名に復す
神原神社(かんばらじんじゃ)は島根県雲南市加茂町にある神社である。旧社地にあった古墳から「景初三年」の銘を有する三角縁神獣鏡が出土したことで知られる。『出雲国風土記』大原郡条の神原郷の項に「所造天下大神之御財 積置給處也」とある。当初は大国主神のみを祀ったものと見られるが、宝永5年(1708年)に三刀屋天満宮宮司の広沢漆拾がまとめた『神原神社縁起』では祭神が磐筒男命・磐筒女命とされている。
-ウィキペディア-
境内・社叢
鳥居
社号標 手水舎
狛犬
随神門 手水舎祈祷所か磐座か?
社殿 近づくと自動で電灯が点灯する神社は多い。防犯上もいいことです。
拝殿扁額
地名・地誌
地 図
交通アクセス・周辺情報
神原神社古墳
神原遺跡
竪穴式石室(移築)
神原神社古墳の竪穴式石室(移築)
ここにある石室は、もと現在の神社の北側にあった神原神社古墳の埋葬施設を移築したものである。古墳は昭和47年(1972年)斐伊川の支流、赤川の拡幅事業によつて発掘調査され、石室から景初3年(239年)の銘文を持つ銅鏡が出土している。この年号は、邪馬台国の女王卑弥呼が魏に使いを送り、銅鏡百枚を授かった年であり、卑弥呼の鏡を出土した古墳として全国に知られる事となった。
古墳の墳丘は復元規模29×25m、高さ5m以上の大形方墳で、内部の石室はここに見るように多数の板石を積んで造られた竪穴式石室である。この石室は内法で長さ5.8m、幅1m前後、高さ1.4mで、床には粘土が敷かれ、その上に長さ5.2mの割竹形木棺が置かれた痕跡が残っていた。また、これらの下には排水溝や、朱と土器5個を納めた長方形の穴が発見されている。
棺内には多量の朱が認められ、三角縁神獣鏡1面と武器や農耕具などの多量の鉄製品(素環頭太刀1本、剣1本、鏃36本、鍬先1点、鎌1点、鏨1点、斧2点、ヤリガンナ1点、錐2点、縫針2点が、棺外からは鉄剣1本が出土している。また、石室天井石の上面からは祭祀用と考えられる壷やそれを載せる器台の破片が多数出土している。
この古墳は古墳時代初期の典型的な特徴を備えており、山陰で最も古いものと考えられている。銅鏡や豊富な鉄製品を入手すことができた首長がこの地域に存在していたことは、出雲の古墳時代を語るうえで極めて重要である。また、南側丘陵にはこの古墳に前後する時期の小墳が多数存在し、そのひとつから県内初の破鏡が出土し注目されている。なお、出土品は昭和55年6月9日に国の重要文化財に指定されている。
平成12年(2000年)3月 島根県教育委員会
加茂町教育委員会
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